コラム

ブログというものとの付き合い。

ブログというものを始めたのは、2002年か、3年だった気がする。後にライブドアに吸収される名も忘れたところで、日記を書いたのが最初だった。鬱、自律神経の失調で、体重は45キロとか20キロ以上落ちて、トイレの便座も上げる気力が湧かない。そんな時にスタートさせ、病気で完全に引き籠もっていたので、社会との関わりは皆無に等しく、YahooチャットとBlogに生き甲斐を見出していた。世間知らずの23歳が起業をするという暴挙の結果、借金も1000万以上当時はあって、現実逃避の手段でもあった。

書き続けている間に、チャットで知り合った人から面白いと言ってもらえたり、僕の文章が好きだとメールをもらったりして、当時、随分と嬉しかった。中には、逢ったこともない僕の日記を読んで、僕に恋愛感情を持ってくれる女性もいた。誰からも必要とされている感覚が得られない苦しみを、和らげ、そこに何か活路の様なものが見い出せないかとか。そんな根拠のない妄想を想ったりもした。妄想でも生きる希望になっていたのだから、それはそれでよかったのだと思う。

当時、アメブロよりもライブドアの方が大きかった。そのライブドアのカテゴリー別のアクセスランキングで、僕は1位になったりもした。少なくとも、つねに上位だった。そこから金銭を得ることはなかったので、ただの病人。あるいはもしかすると、ただの今でいうところのニートなのだけれども、それは当時の僕の名誉、誇りだった。僕の日記を読んで、自殺を思いとどまったという人もいた。そんな人と実際に待ち合わせをして逢ったして、僕は誰かの役に立つことの悦び。そんな当たり前のことを学んだりもした。さらに1年2年と経って、僕は化粧品会社に就職した。それでも、その自己開示した嘘や隠し事の限りなく少ない日記、Blogを続けていた。

鬱からの社会復帰というのは結構厳しいものがあって、転職というよりは再就職といった方が実態には近かったから、随分としんどかった。最初は薬も隠れて飲みながらだったりもして、よく空回り、上司から叱責を受け、傷ついていた。それをまた、Blogで書き綴ったりもした。本気でサラリーマンというものに本腰を入れてならないと、多分、このままBlogで自分の文章でカタルシスを得ても…と考え、そのBlogは閉鎖させた。

それから、会社員として本腰を入れ、健康になるという手段に運動、フィットネスを見つけた。それで、薬も飲まなくてよくなり、そこから心療内科というところに行く事もなくなった。Blogから遠ざかっていた(気まぐれで書いては止めて程度はあったかもしれない。過去の記憶は曖昧だ)。その後、かなりの健康マニアになって、トレーナーの資格団体がおこなうコースに申し込むまでになっていった。半ば衝動的な形でトレーナーの資格を取るために勉強し、そして、資格を得た。

サラリーマンを続けながら、パラレルキャリアとしてトレーナーとして活動がしてみたくなった。学んだことを活かして、他人を自分のような健康マニア、否、健康な状態になってもらいたいと。そんなことを思った。サイドビジネス、副業といったビジネス的な感覚はなかった。深く考えずにスタートさせたので、Blogで興味を持ってくれる人を探さないといけないと。そんなことを考えて、アメブロで書き始めた。そして、この3月から、アメブロを離れて、ここで書き始めることに決めた。

書く場所が変わる度に、自分の社会での立場や状況は変わっていった。アメブロに特に不満があるだとか、そういうものはない。なんとなく、離れたくなった。財布を買い換えるのと、似ているかもしれない。そんな戦略だとか、目的だとか。そんな大層なものは、何もない。なんとなく飽きて、それまで好きだったその財布が陳腐なものに見えたり、形が気に入らなくなったりする。そして、しばらく考えて、買い換える。そんな感じに近い。

前回はデザイン力のあるカスタマイズのお仕事をされているプロの方に作ってもらった。センスの良い方で、とても気に入っていた。今回は、友人であるWatanabe氏に教えを乞いながら、甘えながら。どうにかこうにか、プロに依頼するという形ではなく、試行錯誤して作った。まだ少し使えていない機能があるし、若干手が加わって、変わってくる部分があるかもしれない。だけれども、とりあえずはこれで移転、スタートとしたい。

自分の意図した変化から意図しない変化まで、今年は様々なことがもう既に起きている。僕はコントロール(支配)されることを極度に嫌うので、それが苦ではない人には理解ができないだろう形での別れもあった。誰も憎んではいない。立場の違いだ。そして、それは理解できる人とそうではない人がいる。それも仕方がないと思って、理解している。ともかく、別れと出逢いがある。無意識での依存は半ば、強制的に手放した。今は、独りだ。実際には違うが、自分の足で立っている気がする。失くした地図を、また買い直そうとも思わない。今は地図のない旅行というものを、楽しみたい気分である。その震えを楽しみたい気分なのである。僕が想ったことを書く場所を移したのは、その決意の自分の自分に対しての表明なのだ。

 

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Posted on 2013-03-07 | Posted in コラム | No Comments »

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